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Lorentz invariance even for D != 26

The referee of PRD and two people in a meeting gave the same criticism that the paper about Quantization of Nambu-Goto action in Four Dimensions can be not Lorentz invariant. Their claim should have come from the following reasoning:
This theory claims that space-time dimension don't have to be 26, which is unbelievable. In the case of lightcone gauge quantization, Lorentz invariance was broken and to restore algebra of Lorentz generators, D=26 was required. So, this theory should also have the same problem and be breaking Lorentz invariance without knowing.

To persuade people, it is better to answer this point even though, in my viewpoint, this theory is Lorentz invariant because every step in the derivation are manifestly covariant.

Here we explicitly show that such linear operators exist that produce correct Lorentz transformations for our system.
  [Kγ, Kβ] = - i Jγ×β,
  [Jα, Kβ] = i Kα×β ,
  [Jα, Jβ] = i Jα×β .

We have three polarizations +, -, and L. The L-polarization vector is
  εL = (|p|, ep p0) / p,
which is dependent on spatial momentum p. The transverse polarizations should also be dependent on p. They have only spatial components, and let us denote them by
  e2, e3
supposing that they are in linear polarization, orthogonal to each other, and related to e+ = (e2 + ie3)/√2, and e- = (e2 - ie3)/√2. There are arbitrariness how to choose e2 and e3 on the sphere |p| = constant.

Let us first consider an infinitesimal Lorentz transformation on the coordinates in the classical (and quantum) theory. The total momentum will be transformed by
  (p0, p) → (p0 + βp, p + βp0)
with a infinitesimal boost transformation β. We want the variables transform according to
  X'μ = Λμν Xν.      (1)
Therefore, for a longitudinal polarization αLn, its polarization vector ε is supposed to transform as
  {1/p} (|p|, p0 ep) → {1/p}(|p| + βep p0, p0 ep + β|p|) ≡ εL' .      (2)
After a change of momentum p, the L polarization direction changes to
  {1/p}(|p + βp0|, ep' (p0 + βp))
where ep' = p'/|p'| = (p + βp0)/|p + βp0|. So, the polarization (2) should again be decomposed into L and T polarization:
  ε'L = εLp' - p/|p|(β-ep (epβ))
in the first order in β. Let us next consider a transverse polarization ε. It is transformed by Lorentz boost as
  (0, ε) → (βε, ε)
and this polarization vector should be decomposed into new L and transverse polarizations:
  ε2' = ε2 + (βe2) {p/|p|}εL + e2・{∂e3/∂pi} βi p0 ,
  ε3' = ε3 + (βe3) {p/|p|}εL + e3・{∂e2/∂pi} βi p0 .
The transformation for creation and annihilation operators may be read by putting
  Xμ(p) = i εL - αL†) + i εT - αT†) ,
  X'μ(p') = i ε' (α'L - α'L†) + i ε' (α'T - α'T†)
into eq.(1):
  α'L = αL + {p/|p|} β・(e2 α2 + e3 α3) ,
  α'2 = α2 - {p/|p|} βe2 αL - e2・{∂e3/∂pi} βi p0 α3 ,      (3)
  α'3 = α3 - {p/|p|} βe3 αL - e3・{∂e2/∂pi} βi p0 α2 .
The discussion up to here holds for both classical and quantum strings.

The transformation {L-a} is realized by the following operators.
  Kβ = β・(x p0 - x0p) + i Σn { - {p/|p|}βe22†n αLn - αL†n α2n)
    - {p/|p|} βe33†n αLn - αL†n α3n) +e2・{∂e3/∂pi} βi p03†n α2n - α2†n α3n) }
The index n and Σn will be abbreviated from now on. With the same argument as above, the rotation generator should be:
  Jα = α・(x×p) - i (αeL - e2・{∂e3/∂pi} (p×α)i ) (α3† α2 - α2† α3)
which is consistent with that the L polarization will not be modified because it is parallel to p, and that the components that is perpendicular to p will be rotated by αeL. The e2・{∂e3/∂pi} (p×α)i term comes from that the direction of e2 and e3 depends on p and components in these direction should be corrected if p is changed.

One can check that these operators reproduce the correct Lorentz transformation {L-a} by infinitesimal Lorenz boost ¥vec β:
[Kγ, Kβ] = (x ×p)・(β×γ)
  - {p2/|p|2} γ・(e2 α2† + e3† α3) β・(e2 α2 + 0)
  - ( {p/|p|} γe2 αL† + e2・{∂e3/∂pi} γi p0 α3† ) ( - {p/|p|} βe2 αL + e3・{∂e2/∂pi} βi p0 α3 )
  - ( {p/|p|} {γeL p0/|p|} - {p/|p|} p0 γ・{∂/∂p} ) (βe22†αLL†α2 ) + βe3†3†αLL† α3) )
  - (e2・{∂e3/∂pi} βi p0 pγ + p0 γ・{∂/∂p}(e2・{∂e3/∂pi} βi p0) ) α3† α2
  + (2 ←→ 3) - (β←→γ) - (2 ←→ 3, β←→γ)
using the commutation relation ({comm}). The equation [Kγ, Kβ] = - i Jγ×β may be checked by using
  e2・{∂e3/∂pi} = -e3・{∂e2/∂pi},      (4)
which comes from e2e3 = 0, and
  {∂e2j/∂pi} = - e2i pj - (a e2i + b e3i) e3j
  {∂e3j/∂pi} = - e3i pj + (a e2i + b e3i) e3j      (5)
where a = {∂e2j/∂pi} e2i and b = {∂e2j/∂pi} e3i and
  {∂/∂pj} (e3・{∂e2/∂pi} ) = εijk pk/|p|3      (6)
irrespective of the dependence of e2, e3 on p. Further, it is easy to check
  [Jα, Kβ] = i Kα×β ,
  [Jα, Jβ] = i Jα×β
with those relations.

Overall, I found that the result is just the same as the Lorentz generator of single-particle quantum mechanics of spin-1 particle represented in helicity components.

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学会が何かを決議したらすでに異常

学会が外に向けて「この分野の研究への一層の支援を望む」とかその手の分かり切った、結果として毒にも薬にもならないような、決議をすることは良くある。でも内のメンバーに対して統制するような決議は普通ではない。(私が知っているのは理学系の話だけど。)

で、

美味しんぼの木造禁止を考える。日本の木質構造の今後:ホームインスペクター大下達哉の「建物調査(インスペクション)日記」:

ここには日本建築学会が1959年に木造の研究発表を禁じることによって実質木造の研究を禁じたこと(この理解でいいのかな?)が書いてある。そしてそれによって阪神淡路震災くらいまでのあいだ木造建築の研究は非常に遅れてしまったらしい。私の理解では結果として木造建築の耐震安全性や防火性や断熱性などの向上が妨げられ、目に見える形でなくとも知らず知らず人死にだって出ている。上の記事を通した孫引きだと、この決議は:

・ 建築学会の大会開催中に緊急集会が開かれ、約500名の会員が出席し、満場一致で決議
・ 緊急集会を開いての大会決議というのは、建築学会の歴史の上でもかなり異常なもの

おそらくは「木造は危険であるからなくすべき」という良心だったのだろうけど、木造が経済的であるという現実を前に結果としてはかえって人死にを出している訳で。

で、決議というのは最初からおかしいと思うわけです。学会というのは、普通の人のイメージとは違うかも知れないけど、普段は単なる情報交換会にすぎないわけですよ。誰かを追放したり、なにが正しいかを決めたりするわけではなく。

学問において正しいことが決まるというのは学者同士が一人一人説得していって、いつの間にかその意見が圧倒的多数になったときに「これが正しい(だろう)」となるわけで、決議で正しいことが決まるわけではない。また何を研究するべきで何を研究するべきではないとか決める機能も普通は学会にはないし、あってはいけない。それぞれの研究者が選ぶわけで。
間違ったことを主張したり変な研究をしたってマンガみたいに「学会を追放」されたりなんかしない。ただ何となく皆に相手にされなくなるだけ。

それが普段の学会の姿だから、学会が決議をするなんて時点でなにかおかしなpoliticsが起こっていると見なしてよいと私は思う。良心が理由であったとしても。というか人間が一番大きな間違いをするのは自分が良心に従っていると思いこんでいる時なわけで。

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ついでに。また「サミュエル・ハーネマン(Samuel Hahnemann)」の記事におけるAMAなんかもその例だよね。時代が違うのではあるけど。

サミュエルの新医療は、しかしながら、米国に根付くことはなかった。英雄的治療の医師たちは、米国医師会(AMA)を結成し、1887年次のような医師の倫理条項を定めた。
...

 「排他的なドグマに基づく治療(practice is based on an exclusive dogma)」とは、米国に根付こうとしていたサミュエルの新医療であった。1855年には、サミュエルの新医療を併用する者は米国医師会から除名されることになった。規定違反者へは告訴も行われるようになった。違反病院のボイコットも推進された。正しい医療のためには、なんだってやるというラッシュの英雄的精神は生きている。

英雄的医療もホメオパシーもだめだという現代的視点は一度忘れて、二つの学派が争っているという点だけをみる。

正々堂々たる論争や実験で雌雄を決すれば良いものを議決やボイコットなどのポリティカルな手段でライバルをけ落とそうとするのは汚い。現代でもたまにこれをやる学会があるとすればやはり問題だ。

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18世紀において医学は科学だったのか?

ホメオパシーの開祖サミュエル・ハーネマン(Samuel Hahnemann)についての記事が面白かった。けどその前に、finalvent氏はなにかすり替えをしている様に思える。

 なぜそんな恐ろしい医療をしていたのか。当時の正統医学ではあらゆる病状は悪い血液から起こるとされていたためだ。ラッシュはすぐれた医師でもあり、医師の倫理感も強かった。「息があり、手が動くかぎり治療を尽くしたい。瀉血をやめるくらいならランセットを握ったまま死を選ぶ」と語った。まさに英雄であった。  身体の毒を出すために、瀉下も広く行われた。下剤である。甘汞つまり塩化第一水銀(Hg2Cl2)が広く用いられた。流涎。つまりよだれがだらだらとなるまで塩化第一水銀を飲ませるのが指針であった。現代医学からすれば、それは水銀中毒の初期段階なのだが、当時は科学的に正しい治療であった。

 こんな医療でよいのだろうかと、正統医学に疑問をもった人もいた。科学的な医療に疑問を持つことなど、近代理性の時代、許されるわけもない。当然、薬草を使った治療などは魔術や呪術の類に扱われた。


当時(18世紀末)は瀉血などが正統な医学だと思われていたのは疑わないとして、本当に当時それが「正統な科学」だと思われていたのだろうか?
finalvent氏は暗黙にyesと考えているようだけど。

代表的な科学である物理学を考えるに当時(ニュートンから100年)にしてもすでにはっきりと再現可能な実験で白黒を決めるようになっていたはず。
それに比べて当時の医学は明らかに実証を欠いているわけで、科学者の方が「医学は仲間だ」と思っていたとはどうしても思えない。
(再現性90%すらまれな医学でなにか実証が可能になるのは統計学が発達した20世紀初頭からでは?)

というわけで疑問は
1,当時医学の側は自分が科学だと思っていたのだろうか?
2,当時物理などの代表的な科学者は医学が科学だと思っていたのだろうか?
3,もしyesならそれは現代と当時では「科学」の意味が違ったことになるけど、ならば当時「科学」とは何を意味したのか?

つーか、scientistという言葉は19世紀になってから出来たものだし(http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_science)、それ以前に使われていたnatural philosopherという言葉は医学者を含まないのではないかと思う。するとこのような医学を「科学」だと思ったりはしないのではないかと思う。

現代の「正統な科学」の立場からのニセ科学や代替医療への批判に対して、ときどきfinalvent氏が揶揄を加えることがある。また今回の記事もホメオパシー問題に関係して「科学」の名のもとに物を言う人への揶揄を含んでいる。
それは「昔、正統な科学と言われていたものにだって同じく怪しいものがあるじゃないか」と言うことなんだろう。けど、どうもそのfinalvent氏の考える昔の「正統な科学」つまり医学は当時からして科学(あるいはnatural philosophy)と思われてなかったのじゃなかろうか。あるいは科学という観念が固まる前のものがあるんじゃないか?そういう物も入れた上で現代の科学に揶揄を加えるのはちょっとお門違いではないかなあ。現代の科学が無謬とは言わないけど。

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と考えていたらドラッカーの「テクノロジストの条件」p50に丁度いい記述があったことに気づいた。

医学革命

しかし主な技術のなかで、医学だけは一八世紀にそのような転換(最上註:科学と技術の結合、つまり知ることとする事の結合)を遂げるにいたらなかった。その試みはあった。ハプスブルグ家の顧問として政治力をふるっていたオランダ人の偉大な医師ジェラード・ファン・スティーテンは、その師ヘルマン・ブールハーフェが一七〇〇年ごろにライデンでまとめた臨床医学と、病気を体液ではなく器官の問題としてはじめて扱った『病理解剖学』(一七六一年)の著者ジョバンニ・モルガーニらの科学的知見を結び付けようとした。

しかし、ここでわれわれが教訓として忘れてはならないことが起こった。それは、医学あるいは当時医学と呼ばれていたものがすでに敬意を払われる存在となっており、一つの学問分野として体系化されていたために、逆にファン・スウィーテンの試みを退けてしまったことだった。ウィーンは、ファン・スウィーテンとその後継者ヨーゼフ二世が他界するや、再びスコラ主義へと後退した。

医学に真の変化が起こったのは、フランス革命がすべての医学校と医学会を廃止した後のことだった。ふたたび宮廷医師の一人、ジャン=ニコラ・コルヴィザーレ・デ・マレが、ファン・スウィーテンのなしえなかったことをパリにおいて実現した。

しかし当時でさえ依然として科学的アプローチに対する反対勢力は強かった。たとえば一八四〇年ごろ、おそるべき死亡率に達していた産褥熱の原因が伝統的な医療方法にあることを発見したイグナス・ゼンメルワイスは、ウィーンを追放され流浪の身となった。医学が真の技術として一つの体系となったのは、一八五〇年、パリ、ウィーン、ヴェルツブルグに近代的な医学校が設立された後のことであった。

しかしその変化さえ、科学の力を借りずに起こったものだった。

つまりそのころまだ医学は科学とは深い関係を築いてはいなかったし、ましてや科学の一種などとは決して言えないはず。

まあしかしここにも権威というものが真理の追究に如何に有害であるかという例を見るわけで。

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目標を下げるだけで出来たりする

某所で見たライフハックで、この先3日くらいの計画を立てるといいよというようなアドバイスがあった。一週間か二週間くらいやって挫折した。

また、毎日朝はじめの五分間、その日にやる仕事を考えるといいよというのがあった。やろうとしたけど三日坊主になった。

しかし、思い立って明日の計画だけをすることにしたら習慣を定着させることが出来た。

また、たまたま別のライフハックサイトで「毎朝二分」その日やる仕事について考えるといいよと言うのがあった。多分ネタもとは同じなのだろうけど、2分だと心理的抵抗感があまりなく、定着した。

本当にすこしハードルを下げるだけで出来ることもあるんだなと意外に思った。

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マネジャーの"integrity"とは?


http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20100824/215937/
より

日本語に訳しにくい英単語がある。art、design、managementなどがそうだ。中でも翻訳不能と言える単語が"integrity(インテグリティ)"である。かのピーター・ドラッカーが、マネジメントの担い手の「決定的に重要」な資質として挙げたのがintegrityであった。
...

 ドラッカーのほぼすべての著書を訳している翻訳家の上田惇生氏(ドラッカー学会会長)は、integrityを「真摯さ」と訳している。

あー、そうだったのか。ドラッカーの本を読むと「マネジメントに決定的に重要な資質は真摯さである」とか書いてあるんだけど、これが前々からどうしてもピンとこなかった。

"integrity"だったのか。相変わらず分かりにくい言葉ではあるけど、「真摯さ」よりはしっくり来る。強いて言うなら「全人性」とかでは。同じ人がほとんどの本を訳するというのはいいこともあるけど、こういう問題もあるよな。さすがにこの手の訳の難しい語は括弧で「真摯さ(integrity)」とか書いてほしいな。

じつは最近私の下に学生がついて、部下では無いけど、ちょっとマネジメントっぽいこともやらざるを得ない。で、「真摯さ」と言われてなんだかよくわからなくなってたりしてたのだけど、"integrity"ならば「真摯さ」よりは分かる。努力の方向は間違ってなかったんだ。

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IFRSと退職金など

>日本企業から「名ばかり」有給消える?国際会計基準の導入で (3/4ページ)より

大企業が抱える確定給付企業年金の引き当て不足問題も、IFRSの導入によって噴出する恐れがある。退職給付債務は複数年にわたって償却しているケースが多いが、一括して貸借対照表上に負債として計上するよう求められる。

前々から退職金という制度は先払いして解消するべきだと思っていたので一歩前進だと思う。これくらいでなくなりはしないだろうけど。それでも意外な方からの援軍。

あれが問題だと思った理由は、あれは結局世代間所得移転の仕組みであり公平とは言えないから。そしてかりに世代間不公平が解決されたとすると、今度はそれは40年とかの超長期にわたって会社に貯金する事を強制するものになるけど、会社は貯金箱としては危なすぎる。40年後に経営状態が悪くなっていないと今から言い切れる会社がどれだけあるのか。

ドラッカーの言うとおり退職金は本来すでに従業員の物である給料の後払いにすぎないし、その上それを従業員を縛る金の鎖として使っている。自由主義経済で人を縛ろうとする人が居るのは有る程度仕方がないのかも知れないけど、少なくとも政府が税制の優遇などをしてまで維持するべき制度ではない。

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