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「数理科学」の積ん読していた分を一気読みしてしまった。

09年10月号「数学と物理に広がる不変量」
09年11月号「可積分系の世界」
10年1月号「無限次元の魅力」
と連続してテーマがかぶっているので、可積分系のことをまとめて読んだことになる。結果、まあわかんないことは変わらないのだけど、可積分系に感じていた無用な恐怖が払拭されて、勉強すれば理解出来そうな気がしてきた。

ああ、可積分系に関わる数学というのは、いわゆる特殊関数のちょうど一段外側にあるクラスなんだなと感じた。もう少し理論が整備されれば岩波公式集の4巻にすれば良さそうな感じというか、そこまで整備されれば怖くない道具になるだろう。

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それもまたレッドオーシャン

ビジネスにせよjobにせよ「レッドオーシャン戦略でなくブルーオーシャン戦略を目指すべきだ」という話がある。

まったくもってその通りだと思うものの、いつも心のすみっこが「ちがう」と言う。それが何故かわかった。

要するに「ブルーオーシャンを目指す」という行動をとる人が多すぎるからブルーオーシャンを探す事自体がレッドオーシャンなのだ。

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多分、肝心なのは単語の「本当の」意味を覚えていくこと

Shiroさんの記事「和訳抜きで英語を教えられるか」

http://blog.practical-scheme.net/shiro/20100328-understanding-without-translation

家庭教師や塾講師をしていた時に、 「日本語を経由せずに英語を理解する」ということを教えようと試みたことはある。 具体的には、英文を読んだ時に訳語を探すのではなくイメージと結びつける、 という方法だ。具体名詞ならそのものを思い浮かべ、動詞が来たら動作を思い浮かべる。 修飾されたらイメージを詳細化してゆく。
について。

言及されている、もと記事の
日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について
を読んだときに和訳しながら読む癖がつくという項目について全く気にしてなかった。あることさえ忘れていた。たぶん私自身が和訳癖に悩まされたことが無いからだ。大学くらいの時に気がついたら自然に和訳せずに読むようになっていた。BSIに来て話さなくてはならなくなったときも、頭の中で日本語から訳したりはしなかった。(べつに英語がうまいわけではない。単に日本語を介さないだけ。)

考えるにこれは私が中学校の最初から、単語を覚えるときに訳語を覚えようとせずに「単語の本当の意味」を覚えていったからではないかと思う。

辞書を見ると、一つの単語に沢山の訳語が載っている。なんで一つの単語にこんなに沢山の意味があるのだろうと中学生の私は思った。しかもあまりにも違った意味の物が並んでいて面食らう。

でも本当は相手の単語の意味は一つだけなのだという事に気づいた。例えば、もっといい例があったようには思うけど、"conceive"。これは「考える、思う」という意味と「妊娠する」という意味が載っている。それぞれの単語について、なぜこうも違った意味を同時に持ちうるのだろうとクイズのように考えていった。conceiveのばあいはつまり「懐く」という意味だったというのが答えだ。つまり一方で「(考えを)いだく」であり、もう一方で「懐胎」、腹に子をいだくであったというわけだ。正確にはすこし違ってラテン語のcon+capere 「つかまえる」らしいけど。

という具合に本当の意味を覚えて行くと面白かった。

また、私は英単語の記憶に苦労した記憶がないのもこれと関係あるのではと思う。最初の数ヶ月は苦労したけどあるとき急に頭の中のスイッチがカチリといったような感じがして、それからは単語は一度見ると覚えられるようになった。(別に語彙が多いと主張している訳ではない。楽に覚えられたというだけ。普通並の語彙で満足してやめた。)

我々は日本語の単語なら10万くらいの語彙を持っているはずなんだけど、大抵は覚える時に苦労した記憶は無いはずだ。一方10万の電話番号を覚えるのはたいていの人に取って不可能だろう。単語の記憶能力は他の種類の記憶に比べて桁違いだ。これは恐らく脳の中に単語を覚えるための専業システムがあるからだろうと私は思う。そしてそのシステムは単語と意味の連関を覚えることは出来るけど、単語と訳語の対照を覚えることは出来ないのだと思う。


というわけで、おそらく、最初から意味を覚えるという事にしたら、和訳無しの理解への移行は自然に起こり、また単語の暗記能力自体が大幅にあがるのではないかというのが私の仮説。

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マーガリンを塗るくらいならサラダ油をおすすめする

ある朝バターもマーガリンもあいにく切らしていた。

古代ローマ人はパンにはオリーブオイルを付けて食べていたそうだ。(つーか今でもやってる。)それとマーガリンはサラダ油を化学的に加工したものだという知識がそのとき頭の中で融合した。

そうだサラダ油をかけてみよう。

結果:
おいしかった。ロウっぽさがなくマーガリンよりもおいしい。しかも塗るのに手間がかからない。しかもトランス脂肪酸も入ってない。

いいことづくめじゃないか。こうやって考えるとわざわざ化学的加工をしたのは、バターに発想の自由を奪われて、まるで人類史上の無駄をしていたのではないかと思う。

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読みまつがいは多分ベイズ推定

最近ネットを見ていると「ラブプラス」というゲームが話題になってる。最初の頃は「ラプラス」に見えて仕方が無かったけど最近は「ラプラス」が「ラブプラス」に見えてしかたがない。

同様の物としてはレーガンがレールガンにみえるというのがある。

脳は恐らくここしばらくの出現頻度をprior確率として、ベイズ推定のような事をやっているのだろう。

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「日本の人口」は増やせる

正確には「日本の労働力人口」だけど。

だれもが示し合わせたように「人口減少が決まっているから、日本経済の縮小は決まっている」という。

しかし、それは違う。

日本は毎年0.3才ずつ平均寿命があがっている。だから毎年0.3才ずつ定年を伸ばせば、丁度それは0.3*2で、合計特殊出生率が0.6あがったのと同じだけの生産年齢人口の増加をおこすことが出来る。実際の合計特殊出生率1.4くらいとあわせて丁度人口維持水準だ。さらに女性の労働力率を上げれば労働人口を伸ばすことすら可能だ。

だから単純にそうすればまだまだ日本経済を伸ばすことができる。

いまはデフレギャップがあって労働力が余っている状態なので定年延長をやると、新卒の人が大変な事になってしまうからまずいけど。デフレを克服して求人が過熱してきたら実行に困難はない。

何歳になっても男でも女でもどんどん稼いでどんどん消費できる世の中にすれば経済を拡大することが出来る。


私自身はまあそうするべきかそうしないべきか態度を決めかねているのだけど、これくらい簡単な事実を見落とす背後にはどのような認知のバイアスがあるのだろうかというのが私が不思議に思っていることだ。

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倒立した歴史

数理科学の6月号を読むと、物理の道しるべは九後(汰一郎)さんだった。彼の研究歴なんだけど、彼がやるまではnon-Abelianのゲージ場の理論の演算子形式はなかったというのは知らなかった。つまりそれまではnon-Abelianの場の理論は経路積分で定式化されていて、演算子形式は後から出たものだということだ。

これは面白くて、たしかファインマングラフというのも正当化されるまえに出来て、あとから正当化法が見つかった。(経路積分でだったなかな?)Bjorken Drellなんかは本当にファインマングラフしか書いてない時代のテキストだ。

いまの一般的なテキストの導入ではまず古典場があって、それを演算子形式で量子化して、それは経路積分と等価で、そこからファインマングラフが出るというのが正当だとされているけど、実際の歴史的順番は全く倒立していたんだなあ。(スカラー場は演算子形式でOKだったはずだから全て倒立していたというより、「歴史はジグザグに進む」と言った方が良いのかも知れないけど。)

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