« | Main | String Quantization »

「日本人の英語」

マーク・ピーターセン「日本人の英語」を読んだ。

結論:私は今まで読まなかったことを後悔している。ただ「将来英文を書くかも」程度の切実さが足りない人には上等すぎると思う。すでに英文を書いたけど「これでいいのか」と思う人になら本当に助けになる。

"a"とか"the"の問題はnativeに直してもらっても理由までは説明してくれないというか、nativeでもよっぽど自分の言語についてよく考えている人でないと説明できない。なぜかというとこれは背後にあるnativeどう「感じ」ているかが問題だからなんだけど、このnativeの「感じ」を説明していある文章を私はこの本で始めて読んだよ。


さて、以下は評でなくて読んでいて書きたくなったこと。

まずはじめの"a"と"the"について。私もこの問題については考えてきたけど、この本を読んでさらに理解がレベルアップした。冠詞が名詞につけるアクセサリーではなく、むしろ冠詞のほうが主なのだというのは、なるほど。


5章の純粋非可算名詞の説明を読んでいて思ったのだけど、日本語にも非加算と加算名詞の区別ってあるね。文法的には見えないけど。
日本語では「一つ二つ助言をした」と言うから「助言」は可算名詞だ。でも「一つ二つ援助した」とはあまり言わない。「少しばかり援助した」とは言う。ということは「援助」は非加算名詞なのでは?"advice"は日本人が典型的に間違える非加算名詞なんだけど、"advice"=「助言」だと思ってるから日本語の単語の加算性が乗り移って間違えるのでは?
あと「家具」は加算だけど「調度」は非加算だとか。だから「調度一つ」とは言わない「調度の内ひとつ」とか言う。これって"a piece of furniture"と同じでは?
"information"も日本人がよく間違える非可算名詞なんだけど、日本語では「耳寄りな情報を一つお教えします」とか言えるし。しかし「知識を一つお教えします」は少し変だ。「学識」ならもっと変だしと、日本語にも可算/非可算がある。


ところでこの章にあるこれは違うとおもう。

私は、日本にきたばかりのころ、次の日本語をふと耳にして驚いたことがある。「あの人は思いやりがなさすぎますよ」。その表現を聞いて、日本語としては、何かが「なさすぎる」という言い方が許されていることを始めて知った。「なさすぎる」はどう考えても英語にならないので、強いフラストレーションを感じ、そのころの私の国文学の先生のところまで文句を言いにいった。

「『ない』は『何もない』の意味ではないか。『ゼロ』ではないか。『なさ』には度合いがあるのか。もしなにかが『少なすぎる』ちおうのなら分かるが、『なさすぎる』なんて、どうしても私には納得できないことである。英語は決してそういう非論理的な言い方を許さない。」というようなことを言ったら、先生は「まあ、英語はよくわからないが、『ない』という日本語は『ゼロ』じゃない」と教えてくれた。

いや、これは「先生」の説明は間違っているとおもうな。「なさすぎる」というのは日本語としても変で、すくなくともまじめな文章では許されない表現だ。ダメな理由も英語とおなじ。

「なさすぎる」という表現は子供が言っているか、怒った人が言っているような感じがある。「思いやりがな」くらいまで言ったところで「思いやりがない」というプレーンな表現ではいい足りないような感じがして「すぎる」とかつけちゃうような感じ。

で、次、

"Once upon a time, there were an old man ad an old woman. The old man ..."(むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさん居ました。おじいさん・・・)という典型的な冒頭センテンスを考えてみたい。日本語では最初から「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさん居ました。」とはいえなのと同じように、英語でも"Once upon a time, there were the old man ad the old woman...."とはいえない。

が、日本語の場合、たとえば、一度そのおじいさんが「あるところにいたおじいさん」として紹介されたら、その次のセンテンスから「おじいさん」という表現は少しもおかしくないであろう。それと同じように英語の場合も、・・・ (p52)

これを読んではっとした。日本語の「は」と英語の"the"は対応する場合が結構ある。この本の例文でも"the"に対応して「は」が使われている例が多い。(もちろん著者はここでそんなことを主張してはいない。単に同じ物をさしているのにも関わらず表現を変えなければならない場合が日本語にもあるということを言いたかっただけだろう。)

「その帽子をかぶった男はあっちの方へ行きましたよ。」
"The man who wore a hat went that way."とか
いくつか例文を考えてみても「は」は半分くらいの確率でtheと一致するようだ。

"the"の使い方は日本人に説明が最も難しい英語のfacilityだし、「は」と「が」の使い分けは外国人に説明のもっとも難しい日本語のfacilityなのだけど、これが相互に対応しているというのは驚きだ。(「その」とか「例の」に対応する場合もあるけど。)

ある言語の機能の不足は実は他の機能で補われているという考えの実例だと思う。

まあしかし、"the"というのはその言葉が他と区別可能な特定の個体を指していることを示すものだし、「は」はそれが他とは対比的に違っていることしめすものだというのは前から分かっているわけで、その当然の帰結として半分くらいの確率で一致するだけと言うと当たり前だけど。

|

« | Main | String Quantization »

Comments

彼はまったく勉強しない。
彼はほとんど勉強しない。
彼はあまり勉強しない。
He does not study at all.
He hardly studies.
He does not study so much.

とか並べてみると、どちらも『ゼロ』じゃない場合もあるような気がしてきた。じゃあ、単に『彼は勉強しない』あるいは、"He does not study"と言ったときはどうなんだろう。

どちらの言語でも同じような印象を与えるような気はしますが…。

Posted by: ない | January 27, 2010 05:01 PM

へぇ、まじめな文章以外は日本語じゃないんだ。

Posted by: ほげ | September 01, 2010 10:36 PM

量を数えられるものと、数えられないもので表現が違っているということでは?

Posted by: babyblue | November 24, 2010 12:02 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「日本人の英語」:

« | Main | String Quantization »