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Non-fixing Gauge Field Quantization


▼一つ論文を仕上げていました。

Non-fixing Gauge Field Quantization

ゲージ自由度がある場合の量子化はゲージ固定の方法を捨てて新しい方法を採るべきだということです。
実は概略はすでに「ゲージ固定しなくもゲージ場の量子化が出来る方法について」に書いてありますが、細部まで実現するのは大変でした。細部ではいちいちこれまでの教科書と衝突するからでした。丁度教科書を書き直したみたいな感じでした。
しかしブログなんかに書いたら盗まれるのではないかと考える研究者がよく居ますが、有名人でもない限りは意外と心配いらないもののようです。


▼個人的にはかなりの自負がある論文なのですが、今のところ反応は乏しいです。内容のスコープが大きすぎて意味がつかみがたいのかも知れません。主張の眼目は横波性への批判と拘束条件の扱い方だけなんだけども、なぜそれが正しいのかは、どちらかというと多数の帰結がこれまでの方法よりもよりneatだからということになるからです。だから全部読まないと価値が分からないかもしれません。


▼分かりにくいとなると論文の存在が無視されるかも知れません。しかしいずれ正しいことが分かったときは今度はわざと引用しないで当たり前のような振りをされる可能性もあります。これは剽窃されるのより悪い可能性です。

この研究の結果たどりついたのは、第一種の拘束条件についてはそれ以上なにも行わず、つまりゲージ固定も行わず、そのまま量子化した方が自然だよという事です。
しかし原稿を書いている最終段階で分かったのですが、Diracは'64年のレクチャーでやはり第一種の拘束条件についてはそう言っていることが分かりました。ま、そういうのは研究をしていれば良くある事ですが、これが理由でDiracに帰属させられてしまう可能性もあります。そうなったら悲しいなあ。
まあFeynmanのpath integralだってDiracがちょろっと言ったことを本当にやったことな訳だし、だから評価されないと言うこともないか。

実際Diracは言っているだけでその先なんもやってないんですけどね。つまりこの論文が明らかにした事柄は誰にも分かっていなかった。そうでなければFeynmanとFaddeev-PopovのghostやらBRST formalismなんて出てくる余地がないわけだから。Diracが言うだけでなくきちんとしていたら今頃confinementもstringも重力の量子化もこれだけ混乱してはいなかったでしょう。

まあしかし、「人の己を知らざるを患わず」ですね。私は満足です。生まれて初めて行う価値のある研究ができました。


▼さて、この結果は終わりではありません。始まりです。この研究は3つの重要なspin offをもちます。

一つ目はQCDのconfinement。confinementはカラー電気力線のダイナミクスがquarkをつなぎ止めている現象だと考えられます。しかしこれまでの量子化方法では静電場というものは存在しません。静電場を状態として書き下すことができません。なんだか分からないけどLSZ公式を使って中間の多数の光子の効果を足すとポテンシャルによる散乱らしき物がでるという事でした。しかし今回の論文の方法では静電場は状態として記述できます。その時間発展を追うこともできます。これによりconfinementの理解が大きく進む可能性があります。

第二にstring theoryに対してです。予備的にこの量子化法をstring適用している所ですが、10次元や26次元になどではなく、任意次元で量子化を行える見通しが立っています。これで80年代からの余次元に関わる全ての困難と喜劇がどうでも良いことになります。

第三は重力の量子化です。重力の量子理論でもっとも成功している部類であるループ量子重力理論ですが、量子的な状態は出てくるのですが、その高次の励起の極限として、我々が知っているような連続的で巨視的な空間が出てくるかというのが分かっていませんでした。重力における連続的な空間とベクトル場における連続的な静電場のアナロジーはいかにもありそうな感じです。あと空間の揺らぎとベクトル場の横波モードも。だとすると我々の理論には巨視的な空間があり、belief of transversalityに基づく理論たちには無いと言うことになります。

これらは3つの応用は奇しくもちょうど素粒子論の3大問題に一致しています。素粒子論の研究の過半は直接間接にこの3大問題を解くことに費やされています。それは全て、ゲージ自由度の量子論における扱い方が下手くそだっただけの為だったかも知れないわけです。

▼で、これらの古い方法はみなbelief of transversalityつまり横波しかないという信念から派生している訳ですが、その信念って、これもDiracのせいでは無いかと疑ってます。だとするとDiracが言ったことと、Diracの言ったことの対決だったという訳です。

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アフリカって何でずっと貧しいの?


・ アフリカって何でずっと貧しいの?
(カナ速)

満足できる回答が無かったので自分で書いてみる。

アフリカの国々が貧しい理由はほとんど内戦があったり、盗賊が出るような治安の悪さのためだ。これらが解決して安心して働けるようにならない限り豊かになることはできない。

またすでに治安の問題が無くとも貧しい国もまだまだある。豊かになれない理由はこれで説明できるが、これが満たされたからといって豊かになれるという訳ではなからだ。まだまだ先がある。

まだまだ先とは、先ほどの
1, 戦乱を平定し、盗賊などを一掃する
に加えて

2, 私的所有権が確立し努力しただけ豊かになれる社会になる
3, 能力主義が行き渡り有能なものが上に立つ
4, 庶民まで読み書き算数ができる
5, 貨幣経済が行き渡り広域流通が行われる
6, 貨幣により資本の蓄積が始まる
7, 人治主義から法治主義へ
が必要だ。

で、これらが出来た上にやっと
8, 西洋の近代技術の導入
が出来る。

9, 清廉で有能な官僚機構
10, 民主主義
なんかが意味を持つのはその後にすぎない。

1番は古代王朝の水準で、ヨーロッパ、中国では2千年以上前に達成されている。日本では弥生時代には近隣の部族同士が互いに殺しあいの戦争をしていた。それがヤマトによって平定された。
ヨーロッパが世界に進出し始めた頃には、日本とヨーロッパを除く世界の多くの国はこの古代王朝の水準にあったが、アフリカはまだそれ以前の近隣の部族が争っている状態にあった。ヨーロッパが出てきて統治することでこの争いは止まったが、彼らが戦後に出ていった後はその状態にかなり逆戻りしてしまった。

この逆戻りはヨーロッパ列強が不自然な境界線を引いたり、支配の手段として対立を利用したりしたのも理由だろう。これを止めるには、先進国が共同で武力介入して止めされる事はできるかも知れないけど、それが許される時代でも無いと思うし。しかしそれで自然な均衡が実現されるかは分からないし、現に前回は失敗しているわけだし。
おそらく自然な勢力の均衡は自力で構築して行くしかないのだろうとおもう。それには我々の古代と同じくやはり長い戦乱のプロセスが必要なのだろうと思う。歴史を学ぶことで短縮は出来るとは思うけど、それでも長いだろう。

それに適切な支配者を持つためには民度というものが必要になる。

これが何とかなってもしかし先は長い。2以降は我々には当たり前に見えるかも知れないけど、それぞれ大変なことだ。非常に長い時間がかかり、場合によっては流血をともなうプロセスなのだ。日本の例を見れば、それぞれ100年以上かかっている。

律令制の時代は公地公民で土地は私的所有が出来なかった。しかし、朝廷から遠い関東では私有化が進んでいった。すると当然、「おまえ境界を動かしたろ」「バカいうでね、最初からオラの土地だ」「なんだと」とかいって包丁持ち出してきたりして、武器による紛争に進んでいく。こうして武装化した農民が武士の起源だ。
源平合戦というのはつまり土地の私有派とそれを認めない派の最終紛争で源氏が勝って土地の私有が合法になり終わる。合法になれば土地の所有権が公的に記録されることになるので農家が個人毎に武装して土地紛争をする必要はなくなる。
正確には年数を知らないけど100年以上かかっているんじゃないかな。そして流血で決着した。2番が確立するだけでこれだけかかっている。

次に3番、能力主義。「うちの殿様はバカだし、いっそ刺して俺たちで成り代わらね?」「いーねー、その方がみんなのためだね」という下克上がまさに能力主義で、これによる社会の争乱は戦国時代として続いた。やはり長い時間がかかっている。
終わったときには揺り戻しがきた。この争乱を止めるために結局身分を固定し、殿様は世襲になった。やめたくなるほど能力主義は恐ろしいのだ。しかし恐らく役人の登用や有能なものに番頭をまかせるとかの形で能力主義は残ったのだと思う。また戦国の物語などの形で実力主義への理解は人々に共有された。これが明治への準備になったのだろう。

4の読み書き算数は江戸時代いっぱいから明治までかかっている。

5の貨幣経済も同様。その際には相当の軋轢があったのだと思う。例えば地方の村にある盗人宿の伝説は、いち早く貨幣経済の波に乗り豊かになったものへの貨幣経済に乗り遅れたものからの恨みや妬みがそのような陰口の理由になったのではないかと言われている。
また重商主義の田沼意次の政治の後には農本主義的な揺り戻しがくるわけで、徳川幕府は最後まで農本主義で反貨幣経済的なところを捨てることが出来なかった。

これからこれらの発展を行う国はすでに先例を見ることでプロセスが何倍にも加速できるだろうけど、それでも一つ一つのプロセスに20年くらいかかっても不思議ではない。アフリカの国々が豊かになるまではまだだいぶかかるだろう。

我々先進国に出来るのは我々の知識と金と経験を使ってこの過程を出来るだけ、痛みの少ないものにし、加速することだろう。そして痛みを減らすために先進国が一番最初にすべきことは人権の蹂躙をやめさせることだろう。

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